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徳川将軍家の図書館


『華影』(静岡市清水中央図書館蔵)

2016年3月5日(土)~4月17日(日)

9時30分~16時30分(3月5日は10:30開館)
休館日:月曜日(3月21日は開館)

2つの「文庫」

静岡には徳川幕府と徳川将軍家に関わる蔵書が2か所に保管されています。ひとつは明治維新後に静岡に移された幕府関係蔵書の「葵文庫」と、15代将軍・徳川慶喜と慶久、慶光3代による蔵書「徳川文庫」です。

 本展では、収蔵館である静岡県立中央図書館と静岡市立清水中央図書館の協力により「葵文庫」と「徳川文庫」の特徴ある書籍類を紹介します。

「葵文庫」

静岡県立中央図書館の「葵文庫」は、江戸幕府の蕃書調所、開成所、昌平坂学問所、箱館奉行所などの旧蔵書が静岡で保存されたものです。幕府崩壊により徳川家が駿府へ移封されると、徳川家は藩の立て直しのために人材育成の場として府中学問所(駿府学校)を設立しました。この時、教授陣とともに幕府の蔵書は駿府へと移されました。しかし、明治5年(1873)の学制頒布とともに静岡学校は廃校となり、蔵書は静岡県庁へと受け継がれて現在に至っています。葵文庫には洋書2,325冊、和漢書1,261冊の3,586冊が収蔵されており、幕末の動乱期に外国の技術や文化に対する関心の高さを示した比率といえるでしょう。

「徳川文庫」

静岡市立清水中央図書館の「徳川文庫」は15代将軍の徳川慶喜と慶久・慶光の3代にわたる書籍コレクションで、徳川慶光氏より鈴木与平氏を経て清水市立図書館に寄贈されました。「葵文庫」が幕府の図書館であるのに比べて個人蔵書であり、特に将軍家に連なる蔵書として意味のあるものといえます。蔵書の特徴は和漢書6,628冊、洋書141冊、パンフレット156冊であり、和漢書が多いことが特徴といえます。また、当然ながら幕末から昭和初期の書籍が中心になります。これらの中には、徳川宗家や水戸徳川家伝来の和漢書、徳川慶喜が参加した華族の写真愛好家による同人誌『華影』、渋沢栄一が25部刊行した『昔夢会筆記』の第一、慶久夫人が有栖川宮家より持参した歌集など貴重な書籍が含まれています。

■主催
一般財団法人清水港湾博物館(フェルケール博物館)
■協力
静岡県立中央図書館/静岡市立清水中央図書館
■後援
静岡県教育委員会/静岡市/静岡市教育委員会/朝日新聞静岡総局/
NHK静岡放送局/毎日新聞静岡支局/読売新聞静岡支局/
産経新聞社静岡支局/静岡新聞社・静岡放送/中日新聞東海本社

田代卓展-イラストレーションとグラフィックデザインの向こう側-



2016年1月9日(日)~2月28日(日)

9時30分~16時30分(1月9日は10:30開館)
休館日:月曜日(1月11日は開館)

今回の展示は「大きな瞳のグラフィカルなキャラクターイラストレーション」で知られる田代卓氏の作品を紹介します。

田代氏は静岡県立工業高等学校インテリア科を卒業後に、桑沢デザイン研究所でグラフィックデザインを学びました。桑沢卒業後の1982年にイラストレーターとしてのキャリアをスタートさせました。フラットな色面で構成されたチャーミングなキャラクター達は広告、ポスター、絵本、書籍、雑誌、グッズ等いろいろな場所で活躍しています。また、グラフィックデザイナーとしても多くの企業や商品のシンボルマーク、ロゴタイプを手がけてきました。

展示では普段の仕事としてのイラストレーションやグラフィックデザインの作品を並べるのではなく、田代氏が仕事で培ってきた色彩感覚、造形力、構成力に一層磨きをかけて、絵画として成立するように仕立てた大きな作品を紹介します。また2015年に採用が決定した清水区のキャラクター「シズラ SHIZULLA」も紹介します。

■主催
一般財団法人清水港湾博物館(フェルケール博物館)
■後援
静岡市/静岡市教育委員会/朝日新聞静岡総局/
毎日新聞静岡支局/読売新聞静岡支局/産経新聞社静岡支局/
静岡新聞社・静岡放送/中日新聞東海本社
■協賛
鈴与グループ

遠江の古刹 可睡斎と富永コレクション

可睡斎全図
可睡斎蔵

秋野孝道筆「達磨之図」
可睡斎蔵

一節切
富永コレクション

金扇
富永コレクション

2015年11月7日(土)~2016年1月3日(日)

9時30分~16時30分(11月7日は10:30開館)
休館日:月曜日(11月23日、年末年始は開館
※12月5日(土)は臨時休館)

遠江の古刹 可睡斎

曹洞宗の可睡斎:曹洞宗萬松山可睡斎は「おかすい(お可睡)」と呼ばれて親しまれています。応永8年(1401)の創立の古刹で東海随一の禅修行大道場です。


可睡斎と徳川家:11代目の住職仙麟等膳和尚は、幼い徳川家康とその父を戦乱の中から救い出し、かくまったと伝えられています。その後、徳川家康は和尚を招いて旧恩を謝したところ、コクリコクリと無心にいねむりをしたといいます。家康が親しみを込めて「可睡和尚」と呼んだことから「可睡斎」と名がついたといわれています。以来、徳川家の信仰も厚く、将軍家からの拝領品も伝わっています。


可睡斎の能筆家:可睡斎住職には能筆家が多くいました。因孝越渓・西有穆山・秋野孝道ら可睡斎住職の書画も紹介します。


富永コレクション

武田家関係資料:袋井市宇刈一色の富永家は久野城主に仕えた医師と伝えられています。武田信玄と徳川家康が戦った三方ヶ原の戦の折に、病となった信玄に薬を献上し、短刀と笛を賜ったといいます。以来、武田・穴山家の典医を務めたと伝えられ、この時に拝領したと伝えられる短刀や一節切(笛)、武田家・穴山梅雪の文書も含まれています。


掛川藩の時代:江戸時代には宇刈一色村の庄屋と若宮八幡宮の神官も務めていました。将軍家から下賜された金扇や宇刈地域に関わる古文書も紹介します。

■主催
一般財団法人清水港湾博物館(フェルケール博物館)
■後援
静岡県教育委員会/静岡市教育委員会/朝日新聞静岡総局/
毎日新聞静岡支局/NHK静岡放送局/読売新聞静岡支局/
産経新聞社静岡支局/静岡新聞社・静岡放送/中日新聞東海本社
■協賛
鈴与グループ

蘭字と印刷‐60年ぶりに現れた最後の輸出茶ラベル‐

蘭字 YAMA
株式会社エム・シー・フーズ寄贈

蘭字 KAGO CHOP
フェルケール博物館蔵

輸出用茶箱 CHIEF CHOP
農研機構野菜茶業研究所蔵

2015年9月12日(土)~11月1日(日)

9時30分~16時30分(9月12日は10:30開館)
休館日:月曜日(9月21日、10月12日は開館)

日本の蘭字

静岡のお茶輸出:江戸時代から駿河のお茶は全国に知られており江戸時代終わり頃には北アメリカに向けて輸出されていました。当時はお茶を船で横浜まで送り横浜港から輸出していましたが、明治39年(1906)から清水港から輸出されるようになりました。


木版印刷の技術:江戸時代後半から駿府でも浮世絵が作られており、明治時代まで木版印刷の技術が伝わっていました。


静岡の蘭字作り:清水港からお茶の輸出が始まると、横浜から静岡市北番町周辺に外国人商館が移ってきました。それに伴い、静岡の浮世絵職人と横浜から移った職人により静岡での蘭字制作が始まりました。


輸出茶の変化:開国以来、生糸に次ぐ重要輸出品だった日本茶は第二次世界大戦を境にして北アメリカ市場を失いました。第二次世界大戦後、食糧難だった日本への援助物資の見返りに、連合国は日本茶の輸出を求めました。そのため、戦後は植民地が多くあった中東やアフリカへ輸出され、蘭字デザインも中東やアフリカ向けに変わっていきました。


60年目の里帰り:このたび、“蘭字”と呼ばれていた最後の印刷輸出茶ラベルが発見されました。


今回の展示では、最初期の茶箱絵から戦後の印刷ラベルまで、蘭字の変遷を紹介していきます。

■主催
一般財団法人清水港湾博物館(フェルケール博物館)
■協力
株式会社エム・シー・フーズ/静岡茶共同研究会
■後援
静岡県教育委員会/静岡市教育委員会/朝日新聞静岡総局/
毎日新聞静岡支局/NHK静岡放送局/読売新聞静岡支局/
産経新聞社静岡支局/静岡新聞社・静岡放送/中日新聞東海本社
■協賛
鈴与グループ

和船と船大工-江戸時代以降の日本の船-

江戸後期・大坂に出入りする弁才船(菱垣廻船 北前船 樽廻船)谷井建三画
(船の科学館蔵)

海難絵馬「御幣が現れる図」(片岡神社蔵)

2015年7月4日(土)~9月6日(日)

9時30分~16時30分(7月4日は10:30開館)
休館日:月曜日※7月20日は開館

日本の船

和船の特長と船大工道具:和船は日本固有の木造船で、西洋の船に見られる竜骨(キール)がないことが特長のひとつです。建造方法の特長は、板と板を縫い釘でつなぎ合わせ、大きな板材を作っていく、「はぎ合わせ」という技術にあります。使いやすく刃先を曲げたノコギリをはじめ、船釘を通す穴をあけるツバノミ、板材の隙間を埋めるマキハダなど、船大工たちが使った道具や、和船造りの技術を紹介していきます。


和船の種類:弁才船のような大型の海船や、高瀬舟のような川船など、和船にはいろいろな種類があります。船図や和船が描かれた絵図などにより、さまざまな和船を紹介します。


描かれた和船:今では造られなくなった和船も、錦絵や絵画などでその姿を見ることができます。「和漢船用集」や、谷井建三氏の作品で和船を紹介していきます。


和船と信仰:航海の安全を願った船玉様や、神社や寺に奉納した船絵馬などから、船に関わる信仰を紹介していきます。


■主催
一般財団法人清水港湾博物館(フェルケール博物館)
■協力
公益財団法人日本海事科学振興財団(船の科学館)/焼津市歴史民俗資料館/片岡神社
■後援
静岡県教育委員会/静岡市教育委員会/朝日新聞静岡総局/
NHK静岡放送局/毎日新聞静岡支局/読売新聞静岡支局/
産経新聞社静岡支局/静岡新聞社・静岡放送/中日新聞東海本社

愛と生の讃歌-日本画家 村松秀太郎作品展-

ミイラと子猫の誕生

海の番犬

ベニス~フィレンツェ(スケッチ)

2015年4月25日(土)~6月28日(日)

9時30分~16時30分(4月25日は10:30開館)
休館日:月曜日※5月4日は開館

村松秀太郎氏は1935年に現在の静岡市清水区袖師に生まれ、日本画家を志しました。東京芸術大学日本画専攻科を修了後は新制作展や創画会を中心に活動し、観る人たちに強烈な印象と衝撃を与え続けています。村松氏によれば、絵の中にあるイメージは、清水で暮らしていたころに濡れた体を岸壁に押し当てた時の消えゆく人形のはかなさや、空襲から逃げ惑った記憶が作品中の喪失感や情念に結びついていったといいます。

小説『失楽園』(渡辺淳一)の挿絵を担当し、清水区役所1階の大壁画『海の子讃歌』の作者として知られる村松秀太郎氏の作品世界を紹介いたします。


【略歴】
1935年 清水市袖師に生まれる
1961年 東京芸術大学美術学部絵画学科卒業
1963年 東京芸術大学日本画専攻修了、新制作展新作家賞受賞
1969年 初個展開催
1973年 グループ“メガロパ”結成し、第1回展開催
1974年 第1回創画展で『闘争』が入選
1975年 多摩美術大学講師に就任(~1981)
1983年 清水市新庁舎(現清水区役所)の壁画『海の子讃歌』制作
1988年 筑波大学助教授、後に教授就任(~1998)
1995年 渡辺淳一の「失楽園」挿絵を担当(日本経済新聞連載)
1999年 増上寺(東京都港区)中広間襖絵の『双龍と天女』を制作
2000年 大阪芸術大学教授に就任(~2008)
■主催
一般財団法人清水港湾博物館(フェルケール博物館)
■後援
静岡市教育委員会/朝日新聞静岡総局/毎日新聞静岡支局
読売新聞静岡支局/産経新聞社静岡支局/静岡新聞社・静岡放送
中日新聞東海本社