柳原良平のデザインと船のギャラリー
デッサン 1950~53年頃
『柳原良平 船の本』 1968年
洋行(天洋丸) 2009年 油彩・キャンバス
2018年2月24日(土)~5月13日(日)
9:30~16:30(2月24日(土)は10:30開館)
休館日:月曜日(4月30日は開館)
1 はじまり
柳原良平氏は東京に生まれ、小学生の時から船の画を好んで描き、紙で模型を作っていたといいます。後に自らを“船キチ”と呼ぶことになることを、遺されたスケッチブックからもうかがい知ることができます。
2 イラストレーターとして立つ
京都市立美術大学(図案専攻)を1954年に卒業し、洋酒の寿屋(現サントリー)に入社しました。この時期に開高健のコピーとともに柳原氏のイラストレーションで毎月広告を打ち出していきました。平面的で、ハーフトーンとシャープな線は柳原良平のイラストレーションの特徴となりました。
3 船・港・海を描く
「アンクルトリス」はデザイナーの柳原良平氏を有名にしました。その一方で、柳原=アンクルトリスのイメージを固定化していきました。そのような時に柳原氏の助けになったのは、やはり「船」でした。1968年に出版した『柳原良平 船の本』は、その後の柳原氏の仕事を象徴しているかのようです。イラストレーターでデザイナー、海洋画家、漫画家、エッセイストなど様々な肩書をもつ柳原良平氏の仕事の根底にあった一番大きなものは「船」であったことが遺された作品群から納得させられます。
柳原氏のイラストレーターやデザイナーとしての作品は表紙絵や装丁、様々な立体的なグッズデザイン、お菓子とそのパッケージ、船体のカラーリングなど多岐にわたっています。1983年に描かれた清水インター横の貯水タンク絵も柳原良平氏が静岡に残した代表作のひとつといえるでしょう。
- ■主催
- 一般財団法人清水港湾博物館(フェルケール博物館)
- ■協力
- 横浜みなと博物館
- ■後援
- 静岡県教育委員会/静岡市/静岡市教育委員会/
朝日新聞静岡総局/毎日新聞静岡支局/
読売新聞静岡支局/産経新聞社静岡支局/
静岡新聞社・静岡放送/中日新聞東海本社 - ■協賛
- 鈴与グループ
ME DE CHANGER 移りゆくわたし ―書家 大杉弘子―
サファイアの板に刻まれた神の筆跡
2007 個人蔵
鳥樹 1998 個人蔵
2017年12月16日(土)~2018年2月18日(日)
9時30分~16時30分(12月16日は10時30分開館)
休館日:月曜日(年末年始、1月1日・8日、2月12日は開館)
美(アート)としての書
私たちはリアルタイムで世界を知る時代に生きている。世界中の至るところで、新聞、書籍、電話帳、ファクシミリ、携帯電話、デジタルディスク、インターネット、果ては都市のネオンサイン、看板として、消費され続けている文字。必要とすれば、すぐそこに地球規模で過去の膨大な情報が横たわり、あらゆることが探査可能だ。(中略)
今更ながら「芸術としての書」を推した岡倉天心の彗眼を思う。王羲之、褚遂良、顔真卿、空海は言うに及ばず、人間味溢れる一休、白隠、良寛の禅の書。坂本龍馬や梅原隆三郎や中川一政等々。明治以降の教育制度で書の歴史と実技を学べなかった現代人たちは淋しい限りだ。(中略)
日本は漢字・片かな・平仮名・アルファベット・数字を駆使。中国は簡体字、韓国はハングルのみと、日中韓の書家が使う文字は一見異なっているように見えるが、展覧会や席上揮毫での交流会では、甲骨文字・篆書・隷書・楷書・行書・草書という字体を用い漢詩や現代のワードを書くという点で、王羲之を祖とする共通項を持っている。本流の書が、きちんと紹介される日を願う。
大杉弘子
『大杉弘子2016 ME DE CHANGER 移りゆくわたし』より
- ■主催
- 一般財団法人清水港湾博物館(フェルケール博物館)
- ■後援
- 静岡県教育委員会/静岡市/静岡市教育委員会/
朝日新聞静岡総局/毎日新聞静岡支局/
読売新聞静岡支局/産経新聞社静岡支局/
静岡新聞社・静岡放送/中日新聞東海本社 - ■協賛
- 鈴与グループ
戦後の蘭字-アフリカと中東へ輸出された日本茶-
蘭字「赤い風車」 株式会社エム・シー・フーズ寄贈
輸出用茶箱 農研機構寄託
2017年10月7日(土)~12月10日(日)
9時30分~16時30分(10月7日は10時30分開館)
休館日:月曜日(10月9日は開館)
蘭字と日本茶の輸出
日本の開国とともに欧米へと輸出された日本茶は生糸に次ぐ重要な輸出産品でした。当初は横浜を経由して輸出された静岡茶も1906年(明治39)より清水港から輸出されるようになり、日本茶を扱う横浜の外国人商館も静岡へ移ってきました。当時の輸出用茶箱には“蘭字”という手摺りの商標が貼られ「JAPAN TEA」と記されていました。静岡市の安西地域に集まった商館内ではお茶の再生を行うとともに木版の蘭字も作られていました。大正〜昭和初期には現在と同様なオフセット印刷の蘭字も登場し、戦争を経て1965年ころ(昭和30年代)まで使用されていました。
戦後の蘭字
第二次世界大戦が終わると、食糧難だった日本への援助物資の見返りに連合国は日本茶の輸出を求めました。しかし、アメリカの紅茶・コーヒー嗜好の高まりとともに、日本茶の主な輸出先はアフリカや中東地域へと代わっていきました。蘭字も椰子の木やラクダ・ゾウなどの動物が描かれたエキゾチックなデザインが増え、旧フランスの植民地も多かったため、フランス語とアラビア語が併記されるようになりました。
近年、発見された戦後のオフセット蘭字の中には、蘭字を作成するための見本やデザインの指示が入ったものが見つかっています。中には、モロッコのカサブランカのホテルから郵送された封筒に入ったままの資料もありました。今回の展示では、これらの資料から蘭字の製作についても紹介していきます。
- ■主催
- 一般財団法人清水港湾博物館(フェルケール博物館)
- ■協力
- 静岡茶共同研究所
- ■後援
- 静岡県教育委員会/静岡市/静岡市教育委員会/
朝日新聞静岡総局/NHK静岡放送局/毎日新聞静岡支局/
読売新聞静岡支局/産経新聞社静岡支局/
静岡新聞社・静岡放送/中日新聞東海本社 - ■協賛
- 鈴与グループ
村松誠展−いやしの動物イラストレーション−
©MAKOTO MURAMATSU・SHOGAKUKAN
©MAKOTO MURAMATSU・SHOGAKUKAN
2017年8月5日(土)~10月1日(日)
9時30分~16時30分
休館日:月曜日(9月18日は開館)・9月10日(日)は臨時休館
村松誠氏は静岡県藤枝市に生まれました。
武蔵野美術短期大学卒業後、1979年から『ビッグコミックオリジナル』(小学館)の表紙イラストレーションを担当し、今年で38年になります。村松氏の作品は動物と人間の表情を融合させたような、リアルでコミカルなイラストレーションが特徴とされます。季節に合わせた情景と動物を描き続けています。
本展示会では原画を中心とし、創作過程の経過がわかる各種塗料、作画道具、唯一手がけた漫画作品も併せて紹介します。
- ■主催
- 一般財団法人清水港湾博物館(フェルケール博物館)
- ■協力
- 小学館/小学館集英社プロダクション
- ■後援
- 静岡県教育委員会/静岡市/静岡市教育委員会/
朝日新聞静岡総局/毎日新聞静岡支局/
読売新聞静岡支局/産経新聞社静岡支局/
静岡新聞社・静岡放送/中日新聞東海本社 - ■協賛
- 鈴与グループ
豪華客船の時代-船の科学館コレクションより-
「ホワイトスターライン“オリンピック”」ポスター 船の科学館蔵
「浅間丸」メニュー 船の科学館蔵
2017年6月17日(土)~7月30日(日)
9時30分~16時30分(6月17日(土)は10時30分開館)
休館日:月曜日(7月17日は開館)
定期客船からクルーズ客船へ-豪華客船の変化-
現在のように航空機で世界を飛び交う時代の前には、客船が旅客交通の主役でした。
第一次世界大戦後の大型客船の建造ブームを経て、第二次世界大戦までの間は日本でも定期航路に就航する豪華客船の時代がありました。当時は船の大きさやスピード、設備、サービス等、内外の客船会社の間で競争が繰り広げられました。戦後は旅客交通が船から飛行機へと交代したことから、船の旅は定期航路からクルーズ客船の旅へと代わっていきました。清水港にも豪華なクルーズ客船が毎年来航し、2016年には18隻の客船が入港しました。
今回の展示会では、かつての外航客船時代の資料とともに清水港に来航するクルーズ客船の関連資料を紹介します。
- ■主催
- 一般財団法人清水港湾博物館(フェルケール博物館)
- ■協力
- 公益財団法人日本海事科学振興財団(船の科学館)/国土交通省中部地方整備局清水港湾事務所/静岡県清水港管理局/清水港客船誘致委員会/清水港利用促進協会
- ■後援
- 静岡県教育委員会/静岡市/静岡市教育委員会/
朝日新聞静岡総局/NHK静岡放送局/
毎日新聞静岡支局/読売新聞静岡支局/
産経新聞社静岡支局/静岡新聞社・静岡放送/
中日新聞東海本社 - ■協賛
- 鈴与グループ
双六と世相-特種東海製紙Pamコレクション-
佛法双六
買い物双六 デパートメントストア(部分)
2017年4月22日(土)~6月11日(日)
9時30分~16時30分(4月22日は10時30分開館)
休館日:月曜日
双六(すごろく)
日本の双六は5世紀頃に将棋盤のような板の上でサイコロを振る盤双六から始まったといいます。江戸時代の18世紀中ごろになると、読本や浮世絵の出版の活発化とともに紙製の絵双六が作られてきました。
中国では官職や仏名を憶えるための教材に佛法双六や浄土双六が使われていたといいます。江戸時代の初め頃に日本でも絵が描かれていない佛法双六が作られたといいます。この後に絵入りの浄土双六が作られたことがわかります。この後、江戸時代の後半には様々な絵双六が出版されていきます。
さまざまな絵双六
江戸時代の絵双六は“遊ぶ浮世絵”ともいわれたように、道中ものから芝居ものへと広がっていきました。そして、風俗や広告、教育、戦争など様々な双六が作られました。現在では双六に描かれた題材を注意深く見ることにより、双六が作られた当時の世相や社会を読み解くことができる資料となっています。
- ■主催
- 一般財団法人清水港湾博物館(フェルケール博物館)
- ■協力
- 特種東海製紙Pam
- ■後援
- 静岡県教育委員会/静岡市/静岡市教育委員会/
朝日新聞静岡総局/NHK静岡放送局/毎日新聞静岡支局/
毎日新聞静岡支局/ 読売新聞静岡支局/
産経新聞社静岡支局/静岡新聞社・静岡放送/
中日新聞東海本社 - ■協賛
- 鈴与グループ